2008年10月22日

人生訓と養生訓

前エントリーのコメント欄にて、某選手や関係者の逮捕が確定的だとも受け取れる書き込みを散見。いくつか削除させていただいた。

これは、そもそも僕が悪い。「波及しないことを願ってやみません」という思わせぶりな書き方が悪かった。すみません。


さて、疑わしきは文字にても罰せず、というのは僕が生きている上で気をつけていることのひとつ。そう思うようになったのは、今をさかのぼることウン十年前。おも格が中学生だった時代の話。


お時間がある方は、まずこちらのブログ記事をご覧いただきたい。
チョー有名ブログなのでお読みになられた方もいらっしゃると思う。


伝説の武道家の動画を一挙にアップ by チャイニーズアキ姫の日記


こちらで紹介されている古武道の達人たちの神業の数々。受け止め方は、人により様々じゃないでしょうか。


中学生時代の僕は、空手と合気道を融合したような、よくわかんない武道の道場に通っていた。そこの先生は、授業料は一切取らないという変わり者。そのかわり、練習はおそろしくハードであった。

生意気盛りだった僕は、他の生徒の前でカッコつけたくて反発もした。すると先生は、指一本のみで僕の身体を突き、道場の反対側の壁まで跳ね飛ばした。今思えば、ある種の暗示にかかっていた可能性もある。しかし、古武道の神秘的な部分について頭ごなしに否定することは、今でも僕にはできない。

この道場へ通うようになったのには、訳がある。ある事件がキッカケだ。事件と言っても冤罪。
当時はそんな言葉があることも知らなかった。


恥ずかしい話だが、そのころの僕は、喧嘩のマネごとが好きで、学校を抜け出しては繁華街に入り浸るアホな子であった。中学三年生のとき。学校である事件が起こった。まっ先に疑われたのは僕。

生活指導の先生は、なかなか荒っぽい体育教師。ビンタのときにはゴツい腕時計を鼻っ柱にぶつけるのが得意技だ。そんな彼が、あの夜だけは手をあげなかった。ただ、じっと腕を組み、生意気中学生と押し問答を繰り返す。

  おれ、やってへん。

  お前しかおらんやろ。他に誰がやったというんや。

僕には真犯人の見当はついていた。でも、そいつは僕の仲間だったので、黙っていた。結果。そのまんま、気がついたらうやむやにされて、自主的に自宅待機という形に。

事実上の有罪判決を受け入れてしまったのは、僕がまだ中学生だったから。カッコつけて大人のマネっこをしても、やっぱり何の知恵もない子供だったからね。

ただ、家にはますます居づらくなった。うちは実質的な母子家庭。ああ、またか。どうせあんたはあの人の子や。母は毎日嘆くばかり。僕の話を信じてはくれなかったし、説明するのも面倒だった。

今なら、母のキモチがなんとなく想像できる。母は、僕を責めながら、心の中では自分自身を責めていたんだという気がする。だけど、当時は自分が世界の中心であったから、身内が無条件に信じてくれないという当たり前のことが、なかなか淋しく感じられもした。


そんな母と生活指導の先生が相談し、ツテを頼って僕を通わせたのが、件の町道場だ。こちらの先生は、「うちから逃げ出したら呪い殺す」と生徒を脅した。それでなくてもフシギな技で投げ飛ばされた生徒はみな、先生のコトバを信じ込んでいた。先生の超能力(?)が怖くて、僕らは仕方なく道場へ通った。

念力による暗殺を本気で恐れていたがゆえに、こちらの道場にはしばらくお世話になったのであるが、しかし、念力の持ち主であるはずの先生でさえも、中学生の心のずっと奥の方、、、あの事件をやったのは俺じゃない、という心の叫びは聞きとれなかったのかもしれない。


唯一、僕が心を開いた大人は、暴力も脅しも使わなかった。彼は、僕が中学二年のときの担任の先生。美術の教師だった。先生は、僕が中学三年に入ってから自宅謹慎となったとき、もう担任教師ではないにもかかわらず、学校が終わると毎日うちに通ってくれた。夏休みに入っても、一日も欠かさずに。そして、「僕はお前を信じてるぞ。お前は誰かを庇ってるんじゃないのか」と、涙が出そうな優しいコトバをかけてくれた。

この夏休みの連続家庭訪問にヤラれた。先生の熱意がなければ、いまごろ僕はどこで何をしていたことやら。


人を信じることの大切さ。信じてもらえることの嬉しさ。「よっぽどの確信がない限りは、人を悪者扱いしてはいけないんだよ」という、当たり前だけどとても大事なことを、僕はこの先生から教わった。以来、貴重な人生訓のひとつとして、先生の教えを守っている。


今回のマリファナ事件について。「怪しい」というのを理由に誰かを「黒」と決めつけたり、それと匂わせて語るのは、僕は得意ではない。他の事件でも同じ。テレビのワイドショー的な意見を見聞きすると、ウン十年前の出来事を思い出して胸が痛むのだ。だから、1パーセントでも「白」の可能性があるなら、僕は「白」として接していきたい。その結果、裏切られることになったって、ちっとも構わない。


そんなわけで、おも格においては、印象のみでもって誰かを断罪したり、特定の個人・団体に悪いイメージを植えつけるようなマネだけはしないでおこうと最初から決めていた。


先ほど一部のコメントを削除させていただいたのは、このような理由によるものです。

中には、選手関係者を誹謗する意識もなく、純粋に「格闘技界の未来」を憂い、「マット界の浄化」を願うが故のコメントを残された方がいらっしゃったかもしれませんが、なにとぞご容赦いただきますよう、あらためてお願い申し上げる次第です。


・・・ちなみに、美術の先生は、定年後は個人で絵画教室を運営されていて、今でもときどきお話をさせていただいてます。先生は、孫のように若い女のお弟子さんをつれて、フランスと日本とを行ったり来たり。そのためなのか、いつもギンギンにお元気です。前述した「人生訓」はともかく、こちらの「養生訓」については、見習うべきであるかどうか、迷うところではあります。いやはや。

長話にお付き合いいただき、ありがとうございました。


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ラベル:おも格のこと
posted by おも格 at 03:03| 格闘技 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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